日本からルーマニアへ

日本よりルーマニアへ行く
今回は一番気を使ったのが子供の事だ。泣いたらどうしようとか、ションベンならいいがうんこしたらどうしようとか、本当に生まれて2ヶ月で飛行機に乗せても大丈夫か、など心配はいっぱいあった。しかし、ぜんぜん心配することなく飛行機の中で泣きわめく事もなく、うんこもしないで、本当にいい子にしていた。ほとんどの時間、ミルクを飲むか寝ていた。助かったというのが正直な気持ちです。

ルーマニアへ行くには安い航空会社がいくつかあるが、結局いつもKLMになる。KLMが好きなんだと思う。もっと安い航空会社はあるが、今ひとつ乗ろうという気にならない。今回もKLMで行くことにした。8月21日の出発日当日、予約しておいたタクシーに乗り込み一路成田を目指す。成田への行き帰りは、いつもタクシーを使っている。1万円ちょっとかかる。が、重い荷物を持つこともなく家の前から空港までを考えると一番便利だと思う。成田に着き、格安航空券を貰いに団体受付カウンターに行く、そこでチケットを貰うとKLMのカウンターに行きチェックインをする。今回の席は37Dと37Eだ。それにバシネット(※)がつく。
※私は今回はじめて知ったのだが、バシネットというものがある。聞きなれない言葉なのであっているのかも分からないが、要するに子供用のベットを貸してもらえるということである。これは今回の旅行ではすごく重要だった。何しろ子供をバシネットで寝かせておけば二人とも食事は出来るし、眠ることも出来るし、おしめを取り替えるのも楽でした。ここの席は幾分足元が他の席より広くとってあるので、足元に荷物を置いていても十分リラックス出来ました。


出国の時の出入国カードはいらなくなったので、今までみたいに長蛇の列が出来ることもなく、スムーズに流れていた。この時は、妻と私と子供の3つのパスポートを提示する。(妻は外国人登録カードを返却する。)3つとも出国印を捺してもらい返却される。いつも思うのだがKLMの乗り場は遠い!北ウイングから入って今は改装中の南ウイング側の一番奥へ行く。歩いて15分はかかる。今回は手荷物がいっぱいあったので、なおかつ私が一人で持っていったので大汗をかいてしまった。搭乗口近くのベンチに荷物を置きしばらく休息する。今回持っていった手荷物の中に1m×1mの毛布を持っていった。子供をこの上に寝かせたり、ベンチの傾きをこれで調節しておしめを取り替えたりする。結構これが使える。


飛行機の中へ搭乗すると子供は眠ってしまった。子供用のシートベルトを渡されるが良く分からないのでつけてもらう。普通のシートベルトのところからさらにシートベルトを子供に巻きつける、というと分かるだろうか。離陸をする時に子供におっぱいを飲ませる。こうすることで耳抜きが出来やすいというのを聞いたことがある。


KLMはお腹をすかせないよう、のどが渇かないよう、にいろいろと出してくれる。はじめに飲み物のサービスから、食事になり、しばらくするとカップラーメンかアイスクリームも希望があればいただける。ジュース類はちょくちょくお盆にのせて好きなものをとるようにと持ってきてくれる。最後に朝食が出てくる。日本-アムステルダム線だけあって、日本人の口に合うようになっている。箸もついてくる。子供はこの合間にちょっと泣く。おしめを取り替えるかミルクをあげる。あとは気持ちよく眠っている。


11時間の長い飛行も終わりに近づき、着陸態勢に入る。再びシートベルトをし、子供におっぱいを飲ませる。無事にアムステルダム到着。現地時間で14時30分。


次のブカレスト行きの出発は19時35分なのでここで5時間待つことになる。のんびり歩きながら搭乗口まで行く。ここアムステルダムのスキポール空港は横に広い。乗り換えに間違えることはないくらい掲示板が分かりやすい。全て記号で書いてある。Fゲートに着きDゲートまで歩く。重い手荷物もここはカートがあるのでぜんぜん苦にならない。成田空港の設備の貧弱さを考えてしまった。重い荷物をえっちらおっちら担いで行くには山あり谷ありがありすぎる。ここでもまた思う。成田のKLMの乗り場は遠い!せめてカートくらいは用意してほしい。話がそれてしまった。元に戻そう。
待っている間に事件は起きた。子供がうんちをし始めてしまった。「ウゥーー、うぅーー」っとうなっている。辺りを見回すと人はまばらなので一番奥のベンチにうんこ道具一式を準備した。毛布をうまく使いベンチを水平にし、タオルをひき、おしめを1枚おく。横にはぬれティッシュを置き、下には大きく口をあけて、ごみを入れるようにスーパーの袋を置く。ここまでが私の仕事で、ここからは妻の出番となる。十分うならせてうんこを出させた子供を寝かせ、お宝箱を開けるようにそっと中を確認しながら開く。すばやくおしめをはずし下にある新しいおしめに取り替える。ここでぬれティッシュでよく拭ききれいにする。さらにもう一度おしめを取り替えてお宝箱を閉じる。周りににおいが充満しているが人がいないので分からなかったと思う。後片付けをし、何事もなかったようにもとのベンチに戻る。一大事を片付けてほっとしたのも束の間、今度はぐずりはじめてしまった。何をしても泣いているばかりでぜんぜん泣き止む気配がない。これは本当に困ってしまった。結局、飛行機に搭乗するまでぐずっていた。今回の旅行の最大の危機だった。


ブカレスト行きの飛行機は小さくてこじんまりしている。ジャンボ機を見慣れている者にとっては「ちょっと大丈夫なの」と言いたくなってしまう。中の雰囲気もとてもフレンドリーな感じでみんなの親近感がある。機長との距離がすごく近く感じる。定刻を10分遅れで出発した。子供はさっきまでの涙がうそのように目をつぶりながらおっぱいを飲んでいる。機体が水平飛行になると食事と飲み物のサービスがいっしょに始まる。食事はまずい。路線が変わるとぜんぜん味付けが変わるから面白い。ほとんど食べずに残してしまった。飛行時間は3時間なので一息つくと着陸態勢に入る。外を見るとパラパラと地上の街灯が見える。子供にはおっぱいを飲ませている。無事着陸したな、と思った途端に拍手がおこった。今回だけなのかなとも思ったが、そういえば前も拍手があったような気がする。なんでなんでしょう?


到着ロビーは新しくなっていた。そのまま、まっすぐにパスポートコントロールに向かう。出入国カードはいらなくなったと聞いていたのでパスポートだけを提出する。妻と私の2つを提出した。子供は妻のパスポートに併記してあるので問題ない。問題なく入国印を捺してもらい入国する。バックを取り出し、手荷物検査に向かう。パスポートを見せるとそのままバックを開けることもなく通してくれた。拍子抜けするほど簡単だった。


今回は子供がいたこともあり神経を使うことがあった。しかし無事ついてよかったと思う。これで新しい第一歩を踏み出した。
2001年8月22日

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オトペニ空港よりロマンへ
オトペニ空港に着いてから、私の家まではまだ遠い。ニャムツ県ロマン(ROMAN)という所まで行く。地図でいうとブカレストから北へ350kmくらいの所にある。載っている地図と載っていない地図とがある。地球の歩き方には載っていなかった。
いつもブカレストで一泊しようと思うのだが、オトペニ空港に着くと早くロマンに行きたくなってしまう。夜中の12時について街中に行くのはちょっと戸惑ってしまうからだ。怖い。そんなわけで知っている人に迎えに来てもらい、そのままロマンまで行ってもらう。着くころはちょうど日が出るころだ。
日本時間で考えると朝の10時の飛行機で成田を飛び立って、ロマンに着くときは次の日の昼過ぎ1時くらいだ。ルーマニアの時間で考えると朝の7時に着く。
その間に眠るが、ゆっくり足を伸ばして眠るわけではないので、やはり着くころには疲れがたまる。シャワーを浴びて(シャワーが出るわけではなく、お湯を沸かして大きなバケツの中に入る)ゆっくりしていると睡魔がおそってくる。そのまま眠りにつき昼頃まで眠る。
2日かけてたどり着く秘境は、なかなか静かで過ごしやすい。大きなベットに寝ていると起き上がるのがおっくうになる。着いた日はいつもこんな感じで時差ぼけと疲れを取り除く。一晩眠れば次の日からはこっちの時間に体が合ってくる。(そんなわけありません。夕方になると睡魔が襲ってくるのが一週間くらいあります。)
さあこれからどうしようか?何から始めようか?
と考えながら朝のコーヒーを飲んでいる私がいる。
2001年8月23日

ルーマニアでの生活は日本と何が違うのか?

こんなことを前は考えていたのだが、考えていたというより不安に思っていたのだが、極端に違うことはないと思う。そこには生活があり飯食って風呂入って洗濯してなどというあたりまえのことがある。
ただ、一つ一つをみていくと違いはある。

食事はあたりまえのことだが、刺身、てんぷら、そば、などの日本食はない。チョルバ、ソーセージ、ポテト、パンなどが主食になる。これは私はおいしいと思う。何も問題なく毎日食べている。おいしいので太るのが心配なくらいだ。私はルーマニアに来ると太る。多分、油の多い料理がほとんどだからだと思う。食べる量を少し控えめなくらいでちょうどよいくらいだ。こんな私でも日本から持ってきたものがある。炊飯器、梅干、味噌(ダシ入り)、ワカメ、のり、しょうゆ、などだ。炊飯器は220v用の物を買って持っていった。これでご飯を炊き、のりと梅干をおかずにワカメの味噌汁を飲めれば最高だ、という発想だ。食べすぎた(飲みすぎた)次の日にこれを頂いている。お米は、いくつか買って試食してやっとおいしいお米にたどりついた。高いお米はうまいかというとそうでもない。結局おいしいお米は一番安いやつだった。こちらでは米をとぐ前にテーブルの上で選別する。ごみや色の違う米を取り除く。こうしてから炊くとうまいお米が食べられる。

風呂のことだが湯船につかって外で体を洗ってさらに湯船でのんびりする。ほてった湯上りにビールを飲む。こんな幸せはそうそうあることではない。
しかし現実は、どこかに書いたが、お湯を沸かして大きなバケツの中にいれ、そこで申し訳ないように体を洗う。これを毎日する。
これは私には絶えられない。大きなバスタブの横で小さくなって体を洗うのは我慢できない。大きなバスタブはある。あとはお湯の問題だけなのだ。
今年は、ボイラーを設置することにした。これで湯船につかれる、おもいっきり風呂を満喫できる。あと2週間もすれば朝晩と大好きな風呂に入れると思うと、とても楽しい気分になる。

洗濯だが、空気が乾いているのでよく乾く。日が出ればあっという間に乾いてしまう。ただ問題は洗濯は手洗いなのである。ここの水は冷たい。妻には大変なことだと思う。
妻と洗濯機の値段を調べに店に行った。高くても400ドルくらいだ。お店の人お勧めは、260ドルくらいのものだった。こちらの洗濯機は上下に回る。早く言えば乾燥機の形の洗濯機だ。よって洗濯物を放り込めば全自動でしてくれる。(今年、日本は、幾つかのメーカーがこの形の洗濯機を出したばかりだ。10万円くらいしたと思う。)近い内に買うという約束をして店を後にした。
洗濯でもう一つ面白いのが、洗濯物を干すときは一本のロープを張って、そこに洗濯ハサミでとめていく。洗濯物が一列に並ぶ形だ。私はハンガーみたいのはないのかと聞いたら、ここにはないそうである。雨が降ったときにサッとしまえるではないか、と考えたが、ないものはどうしようもない。

こうしてみると、違うことはいっぱいあるようにも思う。だがどれもこれも少しずつ少しずつ解決に向かっている。そう、こちらでは少しずつするのが良いみたいなのである。時間の流れに逆らってあれもこれもとするよりも今日はこれをする。明日はまた何か一つする。
こんな感じがいいのかな~と思ってる。そうすることで感覚が分かってくると思う。
2001年9月10日

インターネット接続のこと

私の家には専用線をひいてネットに接続している。接続してから1週間が経とうとしている。この間に重大問題が2回も起きている。始めは月曜日の朝に起きた。ネットに接続しようとしたがうんともすんともいわない。プロバイダまで接続出来なくなっている。自分のパソコンの周りでどこかコネクタが抜けていないか調べてみるがどこも問題はない。冷静に事の次第を妻に説明する。ロムテレコムかプロバイダのどちらかに問題があると。妻にプロバイダに電話して聞いてもらうが、異常はないという。じゃあロムテレコムのどこかの線が切断されているかもしれないので、ロムテレコムに電話する。こちらも異常はないという。どちらの会社も電話をして聞くと、異常はないと言う答えが即答される。私はこの即答されることに我慢が出来ずに切れてしまった。
「調べもしないで問題はないとはどういうことだ。異常がないのが何で分かる!」
思いっきり叫んでしまった。妻がもう一度プロバイダに電話して、ロムテレコム側には問題ないのでそちらで調べてほしいと電話をした。電話を切って、3分後、すんなり接続できるではないか。やはりプロバイダ側で問題があったのだ。どうにかしてやりたい気持ちだ。
妻がもう一度プロバイダに電話して「つながりました。ありがとう」と話している。私は心の中で「何がありがとうだ、このつながらなかった時間をどうしてくれるんだ。」と思った。結局、半日もの間、接続出来なかった。
2回目は今現在起きている。今度はプロバイダまでは接続できるのだがその先に接続されていないみたいだ。ホームページを閲覧しようとするが何度やっても「ページを表示できません」となってしまう。昼の3時頃から今は9時になるところだ。これも妻にプロバイダに電話して聞いてもらった。今度は素直に問題があることを認めた。どこかが壊れたみたいだ。結構重大な問題みたいだ。今日中に直るかどうかだという。もうあきれてしまって言葉も出ない。ネットに接続できないならホームページでも書くか。ということで今こうして書いている。明日の朝には直っているといいのだが、期待はしないほうがいいだろう。
こんなプロバイダは変えてしまったほうがいいのだが、幾つかのプロバイダをチェックして最後に決めた所なので、他にはいい所がない。しょうがないと思ってこれからも付き合っていこうと思う。とほほ・・・。

結局きちんと直ったのは2日後だった。それまで細い線で何とかつないでいた。(細い線=遅い転送速度)こちらにきてからは「しょうがない」という言葉を何度言っただろうか。期待半分、あきらめ半分というところだ。
2001年9月20日~22日

小さいことだけど大きく変わったこと

こちらではティッシュペーパーがない。探せばあるのだろうが市場へ行っても、マガジン(商店)へ行っても見かけない。
私は、日本では何かにつけてこのティッシュを使っていた。鼻をかむのもそうだが、ちょっと汚れを見つけるとティッシュで拭く。食事をしてもティッシュは欠かせない。毎日何十枚と使っていたと思う。
それがルーマニアに来た途端にティッシュのない生活になるのである。鼻をかもうにもティッシュがない。食事のときに口元を拭こうにもティッシュがない。どうにもこうにも、あのシュっと一枚引っ張ると、次にまた引っ張りやすいように出てくる「魔法の箱」が懐かしい。もうティッシュなしでは、生活が出来ない体になってしまったようだ。
そんなことを言ってもないものはない。ないなりに考えるしかない。やはりティッシュの替わりはタオルということだ。元々はタオルの替わりにティッシュが出来たのだろうと思う。元の生活に戻っただけなのである。しかし慣れるのには時間がかかる。今でもティッシュがあればナ~と考えることもある。
2001年9月25日

また問題が・・・

昨日、今日と水が出ない。昼間は水が出ないのは分かるが、朝から晩まで水が出ない。どこか大元の水道管が壊れたみたいだ。これは本当に困るだろうな。みんなどうしているのかなと思う。
他人事みたいな書き方をするのには訳がある。実は私の家は井戸がある。何日断水しようが構わないのである。冷たいおいしい井戸水がある。ポンプでくみ上げるのではないのでちょっとは不便なのだが、この水が出ないときにはすごくありがたい。
しかしここへ来てから、毎日のように何かある。大変やら、楽しいやら、いい刺激にはなる。
2001年9月26日

将来の仕事!?

インターネット接続の問題は前にも述べたが、その時にプロバイダの方と仲良くなってしまった。あれだけいろいろ聞いたり文句もいったのだから、向こうも「またか」という感じで覚えてしまったようだ。ここロマンにいる雇われボスみたいな人がとてもいい人で、私のルーマニア語が、もっとうまくなってきちんと話せるようになったら、いっしょに仕事をしようといってくれた。私はあとで考えると言っただけで、すぐにいい返事はしなかった。
こんな日常的(?)に問題があるプロバイダでは、大変なことは目にみえている。それにシステムのことを分かっているのは、彼ぐらいなもので、あとの人はぜんぜん分かっていない。なんで私がいろいろ説明しないといけないのか、どっちがお客なのかわからなくなってくる。
でも私は彼のことが気に入っている。彼の頭の中は、これから先のことを分かっているので話がしやすい。ここルーマニアの通信事情やインターネット事情は、これからという所なので、日本の事を話すと、そうかという感じで聞いてくれる。(日本が進んでいるわけではなく、どんぐりの背比べで、日本はほんの少し進んでいる位なのです。)
こんな仕事も悪くはないな、などと思いつつ彼の誘いには絶対に断ろうと自分に言い聞かせている、今日この頃です。
最近、インターネットのことを書くと、感情的になってしまいます。分かってはいるのですが止められません。お許しください。
2001年9月27日

収穫の秋

今はいろんな果物や野菜が収穫されます。市場には沢山のものが並べられてとてもにぎやかです。冬に備えて今日はきゅうりを買いました。20kgです。大きなバックにいっぱいの量です。これを酢漬けにします。
私は、小さ目で酸味がほどほどのやつがおいしいと思います。作るときに酢の加減を少なくした方がいいです。
近い内に家のぶどうも収穫しなくてはならない。これもおいしいワインになります。
2001年10月3日


洗濯機がやってくる

まさか勝手に来るわけではなく、買いに行きました。子供がいると洗濯物がたまるのが早いのです。それに雨が2~3日降られた時には、もうお手上げの状態でした。手洗いでオムツを洗って乾かしている所からどんどんおむつ交換していて、毎日が、目の回る忙しさでした。そんな妻の大変さを見かねて、私が一大決心をし、買うことを決めたのです。妻は手洗いで大丈夫とずっと言っていました。今でも言っています。
でも洗濯機の回っているのを二人で見ると、二人の間の空気が少しやわらかくなったのを私は感じました。やはりあればうれしいのです。これで少しは楽になると思います。
2001年10月4日

床屋に行く

大分髪の毛が伸びてきたので、妻を従えて床屋に行ってきました。町の中心から少し外れた所にあり、3畳ほどの広さのお店です。そこに椅子が一つと待ち合わせのベンチが一つあるだけのシンプルなつくりになっています。床屋の主人と私たちで息が詰まりそうなくらい狭いです。本当に大丈夫なのというくらいの作りです。
しかしそのご主人は見事でした。何が見事かというと、話しながらはさみを動かすのです。てきぱきと動きながら「日本では床屋代はいくらだ。」とか「ここから日本まで何時間かかるのか。」、「チケット代はいくらだ。」から始まって、「私は官僚や偉い人たちの髪の毛も刈ったことがある。」など、時には自分の記事が載っている新聞の切り抜きを見せて、タカタカとずっと話しているのです。その間もはさみは動いています。あっという間の15分で、一通り仕上がり、あとはドライヤーで整えてくれます。とても気さくないいご主人で、頭の方の仕上がりもとても気に入りました。値段を聞くと1ドルだそうです。日本みたいに30ドルもかからないよと言っていました。信じられない安さです。思わぬところで妻と私の二人を楽しませてもらったので、2ドル払ってきました。また次もあの店に行こうと思いました。
2001年10月5日


ぶどう狩り

昨日、今日と家の庭のぶどうの収穫をしています。摘み取ってはすり潰し機にいれて大きなたるに入れます。合計200kg以上ありそうです。たるが満タンです。3日後にぶどう汁のみを樽にいれ、ねかせます。
その後は、どうするのだろう。追って報告します
2001年10月6日

キノコ狩り

私の家から車で30分くらいのところにキノコ狩りに行ってきました。キノコ狩りと聞いてはじめは大丈夫かなと思いました。毒キノコと食べられるきのこと分かるのかな、と。知り合いの人と一緒に行ったのでその人に聞きながらこれは大丈夫、これはだめと、教えてもらいながら、探しました。森の中にはいろいろなキノコが生えていて、触ると煙が出るものまでありました。私は夢中で探しました。すごく面白いのです。一つ見つけるとその周りには、必ずポツポツといくつか生えているのです。2~3時間森の中をあっちに行ったりこっちに行ったりしました。全部で大きなバックいっぱいになりました。
家に帰り食べるときになると、やはり不安になりました。本当に大丈夫なのだろうか。毒キノコや笑いキノコではないだろうか。

大きなキノコを火であぶり、味付けは塩のみです。もうここまで来て食べないわけにはいかず、そっと口に入れました。感想は、「うまい」です。シャキシャキしていて塩味が効いていてなんともいえない新鮮さがあります。もう一つ食べるとやはりおいしいのです。後は、なるようになれでおもいっきり食べてしまいました。今こうして大丈夫なことは、食べられるキノコだったのです。
食べたキノコですが名前が分かりません。茶色くて、かさが有って、しいたけみたいで、・・・。
私はなんていうキノコを食べたのだろう・・・。
明日はまた違う所へキノコ狩りに行きます。
(今年はキノコを食べて病院送りになるひとが多いみたいです。くれぐれも一人で行って勝手に食べないようにしてください。私のことを言っています。)
2001年10月7日


けんかする

やはりいつも仲良くというわけにはいかないもので、時には意見の違いからけんかになることがあります。たいがい、ほんの小さな事からで、だんだん声が大きくなり、自分の意見を通そうとします。いつもはどちらかが聞き役になり、反論せずに聞いています。10分もすれば気持ちも静まり、また仲直りができます。
時には、二人とも気持ちがおさまらずに言い合いになる時もあります。その時は、もう止められませんのでとことん言い合います。まあ、どんなに大きなけんかをしても次の日には仲直りしています。

一つ言ってはいけない禁句があります。これは強烈です。それは、 「出て行け」です。日本では私が、ルーマニアでは妻が、この言葉を使ってはいけないのです。言ってはいけない意味は、分かりますよね。
2001年10月15日


視線

町を歩いていても、店に入っても、どこにいても人々の視線は私に向けられる。何をするにしてもその行動の全てを誰かが見ている。それは、一歩、家の門を出たときから付きまとってくる。何をするでもなく、見ているのである。これは嫌な感じを受ける。時には恐怖を感じる。何もされないので文句のつけようが無いのが、困ってしまう。ほとんどは好意的に見ているが、男、特に10代の男は、何かを言いたそうにじっとこちらを見ている。まあ私も10代の頃を経験したので、何を言いたいか、なんとなく分かるが、知らない振りをするのが一番いいと思う。ここで問題を起こしても何もいいことは無いのだから。

2001年10月16日

ボイラーの設置

念願のボイラーをやっと設置することが出来た。どのくらい待ったのだろうか。あと2週間もすれば温かいお風呂に入れると書いたのはいつのことだろうか。気が遠くなるくらい待った気がする。頼んだ知り合いの人も、今の時期は自分の家の収穫で忙しかったのだという。まあ、田舎では、それもしょうがない。
蛇口をひねるとお湯が出る。う~ん最高。書いている自分でも情けなくなるが、お湯が出ることのありがたみがよく分かる。温かいお湯はなんて気持ちがいいんだろう。こんなことに感動している自分がいる。お湯ごときにこんなに書くのは恥ずかしいので、このへんでやめにします。
2001年10月19日


停電

昨日の午後10時から一時間くらい停電した。何度か停電は経験していたが、一時間もの停電は初めてだ。幸いにしてシャワーも浴びたし、後は寝るだけという時間帯だったので、あわてる事は無かった。昨日の夜は、ろうそくの明かりが灯っていて、なかなか幻想的だった。
2001年10月24日

実家との連絡

私の実家(日本)とは、現在、テレビ電話を使ってやり取りしている。NetMeetingというのをご存知だろうか。いろいろあるテレビ電話のソフトでこれがエラーが無く唯一動作している。ただ問題があって、私の方の転送速度が遅いため、画像、音声ともによくない。画像はやっと見ることができるくらいである。音声は時間帯によって違うが、一番いいときはよく聞こえるが、音が欠けることが多い。
まだまだ実験段階でこれからという所ではあるが、日本とルーマニアの距離をいっきに縮めてくれる頼もしいソフトではある。これのいいところは、電話代がかからないところと画像があるので本当にそこにいる感じで話すことができることだ。将来的には、常時接続して、いつでも会話ができればいいと思っている。
2001年10月25日

家族のために勉強すること

国際結婚をすると法律とは嫌でも正面から向き合わなくてはいけなくなる。法律を知らなかったでは済まされなくなってくる。(ここでの法律とは日本とルーマニア両国の法律のこと)
もちろん私を含め、全てを知っている人はいないと思うので、何か問題があるときや、次にどうしたらいいのか分からないときに、法律を調べる必要がある。調べるといっても六法全書を見るわけではなく、国際結婚に関連したところを解説した本を買うなり、インターネットなどを使い調べていく。
それで分かる人は天才で、私はそれでもよく分かったような分からないような感じでモヤモヤした気持ちになる。「~ということもある」や「~ともかぎりません」などと書いてあると、いったいどっちになるんだ、と思うことが多い。
また「国際結婚はこういう手順でしなさい。」と、きちんと書いてあるものには出合ったことがない。いつも、「それぞれの国の状況によって違うし、当事者のおかれている環境によっても違います。」と一言付け加えられている。
もっともだと思うと同時に、私がいる環境は、私しか知らないわけで、結局、自分ひとりで考えていかなければいけなくなる。これは不安この上ない。これから先どうなるのだろう、と思う。
そういっても日々の暮らしがあるわけで、そんなに堅苦しく考えなくても何とかやっていくことができる。一番大事なのは、家族三人がバラバラにならないで、いつもいっしょにいられることを、常に夫婦で考えること、それと、この先はどういうことがあるのだろうか、という事を時間の余裕ができたときに考えること、だと思う。
2001年10月27日

田舎暮らしのすすめ

「都会の喧騒を離れて田舎でゆっくりとのんびり過ごしたい」
このように思っている方、多いのではないですか。私も田舎暮らしにあこがれていました。
・・・きれいな水があり、畑で取れたものをその日の夕ご飯に使う。静かでゆっくり落ち着いて料理を食べながら語り合う・・・。
私はある時まではそういう風に思っていました。こういう生活もいいなと。でもある時を境に考え方が少し変わりました。
あるお宅にお邪魔させてもらったことがあります。そこのお宅は、田舎にあり質素な生活をしています。憧れの田舎で生活している人の実態を見るよい機会でした。
やはり必要最低限の電気はきています。でも電灯とテレビくらいにしか使っていません。テレビは電波の関係で一つのチャンネルしか見ることが出来ません。夏は短くて冬の方が長いので、冷蔵庫は必要無いということです。地下を作ってそこにジャガイモやたまねぎなどを保存しています。水は井戸水を汲んで使います。バケツにロープが付いていて、それを井戸の中に落としてまた引き上げてと繰り返し水を汲みます。普段の料理は、かまどにマキをくべて使います。それが部屋の暖房にもなります。電話は無く、携帯電話も電波が入らないのでありません。トイレは畑の中に穴を掘り、簡単に囲いをしたものがあります。


私たちは、夜にうかがって、しばらくいるつもりで、そこに泊まらせてもらいました。しかし翌日の朝には帰ってきてしまいました。シャワーも浴びられない、トイレに行くのも大変、手や顔を洗うのも井戸水を汲んでと大変、といっぱいあったからです。数時間で嫌になってしまいました。

帰ってからじっくりと考えました。本当にこういう田舎暮らしがしたいのだろうかと。そうではないはずだと思いました。少なくとも私は田舎暮らしにあこがれているがこういう暮らしをしたいわけではないと思う。

ではいったい私はどういう田舎暮らしがしたいのだろうか。第一に電気は必要です。水も上水道があった方がいいです。ガスもあった方がいいです。トイレはやはり水洗がいいです。シャワーを浴びたいのでボイラーは設置したいです。出来ればパソコンでインターネットがしたいです。そのためには電話回線も必要です。・・・・。

私は、田舎暮らしに何を求めているのだろうか。何が田舎暮らしなのだろうか。田舎暮らし、田舎暮らしというが私にはどういうことかわからなくなってしまいました。何にあこがれていたのだろうか。結局、言葉の響きだけですごく素敵な生活が出来ると思い込んでいただけなのではないだろうか。
首都から離れた所(田舎)に住むという、まさに、これだけが、したかったのではないのだろうか。
電気、ガス、水道、テレビ、パソコン、などを捨てられずに、全てのものを田舎にまでもってきて生活しようとする、これを田舎暮らしと考えていたのだと思う。

情けないが、いちど便利さを知ってしまうと、なくす事が出来なくなる。今の家でも数日間だが、電気のない生活、水のない生活、シャワーのない生活をした。(もちろんテレビ、インターネットなどはしばらくは無かった。)これだけでも、私には不満だった。あるのが当たり前に暮らしてきた所に、いきなり無いというのは、これだけでも苦痛になる。
「甘い」と聞こえてきそうだが、それならば一度経験して欲しい。
「昔はそんなものは無くて当たり前だった。」という方は、今でも昔の生活にすぐに戻れるのか、考えて欲しい。


本当に電気が無くて生活できますか?井戸水を毎日、バケツで汲む生活が出来ますか?お風呂の無い生活が出来ますか?本当にできますか?
一見、簡単そうに思いますが、実際は難しいと思います。数日間なら我慢できますが、我慢する事が目的ではなく、快適に暮らすことが目的なのです。私には、到底出来ないです。

そういうわけで、もろくも田舎暮らしの夢はなくなってしまいました。しかし得るものもありました。それは、経験できた事とじっくり考えることができた事です。
基本の、生活することの大切さ、これを知ったことだけでも十分です。

田舎暮らしにあこがれている方、一度経験してみてください。但し、これは生活の基本です。田舎暮らしに必要な一つの項目にすぎません。それにプラスして田舎で何をしたいのかを考える必要があります。こちらが先にあり、後から基本生活がついてくる。又は基本生活があり、その上に何かをする。どちらを先に考えてもいいですが、簡単に考えると後で後悔することになると思います。その上で、暮らしてみてください。
これが私からの「田舎暮らしのすすめ」です。
2001年10月30日


ぶどうのその後

ぶどうを摘んで汁だけを樽に詰めたところまでは、前回お話しました。
2~3日の間は、飲むと甘いジュースでしたが4日目頃から甘味がなくなり酸味のみになりました。多分、発酵が始まったのだと思います。今では、おいしいワインになっています。これが本当のワインの作り方なのでしょうか。よく分かりませんが、まあ、おいしいのでこれでいいのでしょう。まだまだ樽にいっぱいあります。来年以降に飲むための分を、小さい50リットルのビンに分けて保存しました。また違った味になるのが楽しみです。
2001年11月 2日

ティッシュの発見

やはりある所にはあるもんです。売っていました。これでルーマニアにティッシュがない、ということは訂正しなければいけないです。
質の方は、多少ざらついた感じがします。一枚とろうとすると2~3枚、つながって出てきます。
2001年11月 5日

家の安全対策

一軒家に住むということは、それだけで狙われる危険性があります。これは、アパートに住んでいたときとは比べられないくらい対策が難しいです。アパートであればドアや鍵を強いものにすれば、そうそう入って来る事が出来なくなります。一軒家の場合は、全ての窓とドアを強いものに代えるのは無理ですので、塀を高くしたり、犬を飼ったりするしか方法がないです。そういうわけで、毎日の夜の見回りは欠かせないですし、停電になったときなどバットを持って外を警戒していないといけません。笑い事ではなく、これは真面目な話です。
安全は、ただではなく、日々の努力によってつくられることを実感しています。夜に眠れなかったときは、昼間に眠る、これも仕方のないことなのでしょう。
2001年11月 6日

朝の一杯

冷え込みのキツイ朝がある。外に出るとすぐに頭が痛くなってくる。そんなときは、ウォッカを一杯きゅっと頂く。しばらくすれば体の中から温かくなってくる。キツイ朝にはきつい一杯が相性がいい。今日も「スタリンスカヤ」の栓を開ける。
2001年11月11日

子供のこと

生まれてから5ヶ月になろうとしている。
最近は一定のリズムで生活できるようになったので、私も妻も子供も少し余裕がある。起きる時間、泣く時間、遊ぶ時間が分かってきた。子供の方も分かってきた(?)と思うので、気に入らなくて泣きわめくこともなくなった。いろいろな物に興味があるみたいで、じっと見つめていたり、手にとって口にもっていったりしている。中でもパソコンは面白いみたいだ。じっと見ている。将来が楽しみである。
2001年11月15日

ちょっと休憩

洗濯で仕上がった洋服が真っ白で気持ちがいい。そういえば最近青いシャツが見当たらなくなった。・・・漂白済みです。・・・とほほ
2001年11月16日

一面雪景色

朝起きてカーテンを開けるとそこは眩しいくらいの雪景色でした。思わず「うぉ~」と言葉にならないうめき声を出してしまいました。子供が寝ているので慌てて我に返りました。
まだ大して降ってなく、積雪1~2cmというくらいです。昼には溶けてなくなってしまいそうです。

私は、生まれも育ちも千葉なので、雪というものに縁がなく育ってきました。千葉は、1年に1回か2回降ればいいほうで、まったくない年もありました。雪が降ったときは、ニュースになるくらいで、交通機関は麻痺し、事故はそこら中で起きていました。子供の頃の記憶で、大雪が降った次の日は、学校に行くと校長先生が先頭に立って、授業をしないで一日中外で雪合戦などして遊んだのを思い出しました。
ですので、今でも雪が降ると、ワクワクする気持ちが体中からこみ上げてきます。何か分からないけど、すごく楽しくなってきます。
2001年11月20日


市場でのこと

最近、妻が米を買うときにいろいろ注文をつけるようになってきた。前は、買ってきた米を味見してうまいとかまずいとか私が言っていたのだが、今ではどれがうまいか妻の方が知っているみたいで、市場で米を見比べて買おうとしている。それも安くて美味いものを探そうとしているから、時間が掛かってしょうがない。私は、高くても美味そうな米があればこれにしようと言うのだが、妻は同じ物で安いのを探そうとしている。その根性は見習わなくてはいけないが、1kgで数円しか違わないのだから、ここで買っても何処で買っても同じだと私は思うのだが、一生懸命に探している。
そのおかげか、さすがだと思うのが、最近お米が艶がありすごく美味しい。ご飯だけで一杯いけてしまうぐらいだ。米を見る目は、ぴか一だと思う。こんな嬉しいことはない。
米の値段は10kgで4ドル位です。高くても5ドルでおつりがきます。
ついでにその他の野菜などの値段ですが、
キャベツ 0.1 ドル
にんじん 0.1 ドル
長ねぎ  0.15ドル
りんご  0.25ドル
等など全て1kgの値段です。冬に近づくにつれだんだん高くなってきましたが、この位です。私は、美味しくて安くて、こんなに嬉しいことはないです。
2001年11月25日

今日のごちそう

「チョルバデブルタ」、レストランで一度は食べたことがある事と思います。好き嫌いがわかれるところですが、私はこれはすごく美味しいと思います。においから、食べた時のあの味の奥深さは、なんともいえないです。
それを今日は家で頂きました。考えてみれば家で頂くのは初めてのことです。昨日から、ブルタの臭みを消すためにいろいろとしていました。結構手の掛かる料理です。食べるときにもムンタナ(smantana)を入れます。これは絶対に病みつきになります。普通のスープも、もちろん美味しいのですがこれはその上をいきます。そう思っているのは私だけでしょうか?
2001年11月26日

文化の違い?

いろいろなお宅に子供を連れておじゃまさせてもらっている。初めて行くと何処の家庭でも子供を抱きかかえてすることがある。
それは「ぷ、ぷっー」とつばを吹きかけるようなしぐさをするのである。それもすごく楽しそうに、何度も何度もするのである。もちろん実際には、つばを吹きかけるのではなく、息を吹きかけるだけなのだが、私には汚い物を食べたときにペーっと吐き出すしぐさに見えてしまう。
なぜするのかを聞くと、「子供がみんなに見られて、後で頭が痛くならないようにするおまじないみたなものだ」と言う。
最近では、慣れたのであまり感じなくなってきたが、それまではみんなが見なくなった隙に、子供の顔をガーゼで拭いていた。子供はどのように思っているのだろうか、一度聞いてみたい気がする。
2001年11月27日

ルーマニア関連の書籍

今回のホームページの更新で、新たに、直接ルーマニア関連の書籍を買える様にしました。これは私が頂くメールで、多くの方が質問してきている、言葉の問題に関係した質問によるものです。勉強したいが何から始めればよいのか、判りやすい本はどれか、どこで買うことができるのか、などいろいろとメールを頂きました。今回は全てを解決するには、まだまだ不十分ですが、少しは役に立つと思いました。どのような本があり、いくら位するのかなど判れば今後の勉強に役に立つと思いました。私からは、どの本が一番いいとは言えませんが、この本で勉強される方が多いのではないかという物を集めました。
2001年12月 3日

寒さの基準

ここロマンは、朝晩は本当に冷える。今は、まだ寒さの本番ではなくて、これからもっと寒くなるみたいだ。今日は、最低気温-12度、最高気温-2度だそうだ。首都ブクレシュティは暖かく、最高気温2度だそうだ。水が凍るか凍らないかが寒いか暖かいかの基準ではないだろうか。
2001年12月 4日

初めて見たもの

今日の朝は本当に冷え込んだ。朝起きてみると、窓が凍っていた。窓の内側の普通は露がつくところが、今日は凍ってしまったので窓が凍ってしまったように見える。曇りガラスのようで向こうが見えなくなっている。ガラスが割れてしまいそうだ。大丈夫なのだろうか。
外に出るとスターダストが見える。キラキラしていて街全体が輝いている。真っ白の街に太陽があたり、そこにキラキラしたものが舞っていて、目の前のものすべてがちかちかしている。目を開けられないくらいまぶしい。これは感動してしまった。マイナス何度くらいに冷え込むとスターダストが見えるのだろうか。

車でちょっと郊外へ行くと、道の両側の木々が白く凍っている。太い幹のみを残してあとは枝のすべてが白い氷で覆われている。眺めのいいところに行くと、それが何本もダーっと並んでいる。凄い、いい眺めである。なんとなく桜並木の下を走っている気になってくる。桜が満開の様子にとても似ている。ちょっと車を停めて、花見みたいにお酒を頂きたいところだが、そんなことをしたら、たちまち全てが凍ってしまう。
道でボンネットを開けてとまっている車をよく見たが、多分ラジエターの水が凍ってしまったのだと思う。ここでは、ラジエターに不凍液を入れて、走るときは冷却ファンのスイッチを切り、前面から冷たい空気が入らないようにしないとそういうコトになってしまう。
走っていると、日陰側の窓ガラスの内側が凍る。よって車を運転している人を見ると、みんなジャンバーを着て帽子をかぶっている。外と同じ感覚なのだろうか。いや、風がない分いくらかは、車の中のほうが居心地はよさそうである。
2001年12月 8日


泥棒

昨日の夜九時ごろにテレビ番組が突然見ることが出来なくなった。私の家はケーブルテレビをひているのだが、またそのケーブルテレビ会社のシステムが調子悪くなったのだろうと考えていた。いつも10分くらいすると何事も無かったかのように映るからだ。しかし昨日は一向に直る気配が無い。今日朝起きてみてもぜんぜん直っていない。これは何かおかしいと思い、家の周りをチェックしてみた。そこにはあっと驚くような状態になっていた。
電柱から私の家に入ってくる、テレビのケーブルがなくなっていた。道の向こう側から道路を横断して引き込んであるはずのケーブルが見事になくなっていた。風や雪で切れたのならば、どちらかにケーブルが長くあるのだが、両側から人の手で切られていた。
いったい何のために持っていったのか・・・。買ってもいくらもしないのに・・・。いやがらせ?それにしてはずいぶんスケールが小さい。多分、ケーブルが本当にほしかったのだろう。という結論になったが、問題はテレビを今日も見れないのでは調子が悪い。
早速、ケーブルテレビ会社に電話して来てもらった。一時間くらいして二人の男が来た。すぐに直せるが、ケーブル代とコネクタ代を出してくれという。妻は出せないと言っていたが私は出してもかまわないと言った。数ドルしか掛からない事と、一ヶ月の使用料を3ドルしか払っていないのにこんなに修理していては、儲けが無くなってしまうと思ったからだ。それよりも早く問題を解決したかったのが大きい。
ケーブルテレビ会社の男たちが言うには、こんなケーブルが盗られるのは、まだいいほうで、昨日はアパートの中のもの全てを盗られたお宅があったそうだ。上には上があるものだが、ここでは毎日のように盗難の話がある。これでは、なかなかいい国になりそうも無いと思った、とほほ・・・。
2001年12月11日

風邪をひく

子供が風邪をひいてしまいました。軽い位だと思うのですが、コンコンとせきしてます。病院に行き診察してもらい、薬も買ってきました。まあ大丈夫でしょう。
一ヶ月ほど前に、私たちより一ヶ月早く子供が生まれたご家庭から、「丁度6ヶ月で子供が風邪をひいたのでそちらも気をつけてくださいね。」と言われていたのだが、やはりひいてしまった。
もうひいてしまったものはしょうがない、一日も早く回復して欲しいと、願っている。
2001年12月17日

のんびりとした一日

今日は久しぶりに一日いい天気でした。太陽を拝むことができ、気温もぐんぐん上昇しました。ツララの先端から融けたしずくがぽたぽたと落ちていました。風もなく本当に静かなのんびりした一日でした。
2001年12月20日

ロマンで屋外コンサート

ロマンの中心にある公園で屋外コンサートがありました。有名歌手が何組も来て寒い中歌っていました。会場は道路に面したところに作られているのですが、どこからこんなに人がいるのかというほど集まってきていました。最後に花火が上がっていました。
2001年12月21日

豚肉

妻のお母さんの家やお姉さんの家で解体した豚肉をもらいました。これで何キロあるのか分かりませんが、しばらく食べてもなくなりそうもないくらいあります。来年は私の家でも豚を一頭飼いたいと思っています。
2001年12月22日

銀行の休業

クリスマスは銀行も休みみたいです。日曜日も入れて23、24、25、26、27と休みです。両替所はやっています。但しこの時期はよほどのことがない限り、両替はしないほうがいいと思います。よからぬやからがそこいら中にいます。後をつけたり、両替所を見渡せる所でじっと見ています。この時期は、みんないろいろ買うためにお金を持っていると思います。少しでも危険は少なくした方がいいのではないでしょうか。
2001年12月23日

クリスマスツリー

こちらでは本物のクリスマスツリーに飾り付けをします。もみの木だと思います。今日市場で買ってきました。最後の一本でした。高さ2mくらいのもみの木にいろいろなものを飾りつけていきます。きらきら光るボールや星や電球などをつけていきます。それと一緒にチョコレートや飴等もつけていきます。
2001年12月24日

今年はどんな年だった?

今年を振り返ると、いろいろありました。・・・何が一番印象に残ったのだろうか・・・。・・・今年の一番の出来事は、・・・・。などと考えていくといろいろあったな~という一年でした。大きな事でも、子供が出来た事、ルーマニアに来た事、家を買った事、などありました。小さいことは数え上げればきりが無い。どれが一番とかは決められないが、どういう年だったかという事を考えてみると、
「全てのことが変わった年」
こういう表現が自分としてはしっくりいく。ちょっとオーバーかもしれないが、感じとしてはあっていると思っています。自分の人生の中でもこんなにいろいろある年は、そう無いだろうなと思っています。とても充実した一年でした。
2001年12月31日



ルーマニアの音 エントリー

  1. 今年はどんな年だった?
  2. クリスマスツリー
  3. 銀行の休業
  4. 豚肉
  5. ロマンで屋外コンサート
  6. のんびりとした一日
  7. 風邪をひく
  8. 泥棒
  9. 初めて見たもの
  10. 寒さの基準
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