2002年のはじまり

新年になるカウントダウンとともに家の庭に出てみると、そこら中の家庭から花火が打ち上げられていました。その数、各家庭数十発、合計すると数千発(これはいいかげんな数字です。)もの花火が上がっていました。ロケット花火あり、爆竹あり、上空で花開く打ち上げ花火あり、それはそれはきれいな光景でした。町じゅうが花火色に染まり、爆発音がこだましていました。本当に2002年になったんだなと実感した瞬間でした。
その後、シャンパンで乾杯して今年初めての料理を頂きました。この料理を食べると、一年間食べるものに困らないという意味もあるみたいです。
今起きてみると、外は何日ぶりかの大雪です。このまま降り続くとまた相当積もりそうです。家の周りは、昨日の夜の大騒ぎが嘘のように、いつもの静かな雰囲気になっています。

新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
2002年 1月 1日


言葉遣い

ルーマニアに来ていろいろな方とお会いしてきた。
その方は私の父より年上の方で今は仕事を引退していると話していた。70歳ともう少し位だと思う。日本人の方でやさしい感じのする方でした。
日本で会ったら、こんな私の話など聞いてはくれないと思うのだが、お会いしたのがルーマニアであったからなのかじっくりとお話をさせてもらった。食事をしながら夜遅くまで話をさせて頂きました。それはとても楽しい時間でした。とても暖かい雰囲気でした。
その中で私が口癖のように「しょうがない」と言ったのを、その方が話をさえぎるように「しょうがない、と言うのは否定的であきらめが入っている」と言われたのが強く印象に残っています。私は、ルーマニアに来て「しょうがない」というのを口癖のように使っていた。ただそれはこういうもの(文化)なんだ、こういう事なんだ、だから受け入れようとするために言っていました。自分の中でこれが常識なんだと言い聞かせるように使っていました。それを「あきらめが入っている」というように直接言われると、ハッと思い考え直させられました。私はこの国にあきらめの気持ちを持っていたのだろうか、と。そんな気持ちはぜんぜん無かったのですが、言葉だけを聞くと確かに否定的であきらめているように聞こえます。それからは、「しょうがない」という言葉は使うことがなくなりました。
よく考えました。あきらめの気持ちも少しは確かにある、しかし期待する気持ちもある。どうやって話していくといい方向に行くのだろうか、と。
今の口癖は「だから何?」です。
これは、だから何が言いたいの、という事もあるし、そういう風に話す背景(理由)には何があるの、というもう少し踏み込んで知りたい、というような気持ちで使っています。
全部を理解するにはすごく時間が掛かると思いますが、いつも少しでも知りたいと思うようにはしている今日この頃です。
2002年 1月 7日


アパートの売却

前に住んでいたアパートを売却しました。本当は人に貸しても良かったのですが、管理が大変なので売ることにしました。希望額ですぐに買い手が見付かり、全ては流れ作業の中でスムーズに完了しました。土地の売買は時間が掛かりますが、アパートはそれの何分の一かの労力で簡単に出来ました。
2002年 1月24日

もう春??

このところ陽気がよく昼間の気温はぐんぐんと上がっていきます。そのおかげか雪もわずかしか残っていません。夜の冷え込みもきつくなく、なんだか気がぬけてふんわりした日が続いています。このまま春になってくれたらどんなに嬉しいことか・・・。そうはいかないだろうとは思いつつも結構期待しています。
毎日、ドアや窓を開けて空気の入れ替えをしています。ひなたにいると眠くなってしまいそうです。寒さが戻ってくる前に日光浴をして、束の間の春を満喫したいと思います。
2002年 1月29日

バザール見学

バカウまでバザールの見学に行ってきました。ここロマンからは車で40分位です。何のバザールかというと、「中古車」です。広大な敷地に数百台の車がズラーっと並んでいます。ベンツのいいやつからちょっと汚いダチアまでいろいろな車がいろいろな値段をつけています。ここは個人がここへもってきて直接買いたい人と値段などの交渉をし売買が成立するみたいです。ダチアはというと、やはり故障が多いので安いです。私がもし買うのだったらダチアは絶対に避けて、ドイツ車がいいかな~と思いました。朝の8時ごろから見て11時頃には帰ってきたのですが、まだまだ売りに来る車の渋滞が続いていました。
2002年 2月 3日

子供中心

私たちは3人いつも1つのベットに寝ている。子供が真中にいて私たちが両側に眠る。こうすると本当に良く眠ってくれる。やはり暖かいぬくもりを感じているのだと思う。
今は一人で、大きなベットにちょこんと寝ている。楽しい夢でも見ているのだろうか、時々笑顔になったりする。そんな寝顔を見るのが私の毎日の日課になってる。
そろそろ起きだす時間である。また大騒ぎの一日が始まる。今は嵐の前の静けさがある。
2002年 2月 5日


子供の出生証明のコード番号

またピアトラニャムツの警察署でどうすればいいのか聞いて来ました。やはりブカレストのセクター1でやっているとの事です。今度は、きちんと名前も聞いてきましたので大丈夫だと思います。そのうちにブカレストへ小旅行に行ってきます。
2002年 2月 6日

ピアトラニャムツの警察署

ここに人があふれるように詰め掛けています。みんなパスポートの申請に来ている人たちです。今年(2002年)から外国に行きやすくなったためでしょう。
前は、申請窓口に少し並んでいるくらいだったのが、今は、申請窓口からどうやって並んでいるのか判らないくらい「ごちゃごちゃ」しています。さらに建物の外にも待っている人がいます。
私は、それを見ながら、外国人専用の窓口、というより、普通の人が入っていけない2階の知り合いの所へ直接行きます。そこでゆったりと今後の必要書類などを教えてもらいます。なんだか少し得した気分になりながら、帰りました。
2002年 2月 6日

ルーマニア語-日本語の辞書

ブカレストにいる方から辞書を送ってもらいました。ルーマニア-和辞典、和-ルーマニア辞典と書いてある、文庫本よりひとまわり大きい手のひらサイズの辞書です。ルーマニア語分類単語集(大学書林、直野敦編)とほぼ同じ大きさの辞書です。
これがすばらしく使いやすく気に入っています。なぜかというと、表記されているのが「ルーマニア語----ローマ字-漢字」と私と妻の両方が使うことが出来るからです。ルーマニア語から、日本語から、共にアルファベット順でひくようになっています。慣れるとこちらの方がひきやすいです。今は、この辞書を主にひき、ルーマニア語分類単語集を副として使っています。ブカレストに来た際には、探して購入してみてください。値段は、250,000Lei(7ドルちょっと)です。
2002年 2月11日

ぶどうのつるの手入れ

今日は、隣の家のおじさんにぶどうのつるの手入れをしてもらっています。やはり素人ではどのように切っていいのかも分かりませんし、私はそれが必要なことも知りませんでした。選びながら大胆に切っていっています。朝からやってもらって、今は丁度、昼の休憩です。午後も、もう暫らく掛かりそうです。
2002年 2月12日

安い海外送金の方法

ある方からルーマニアへの送金で一番安い方法は何か、聞かれました。そこでいろいろと調べました。銀行、郵便局などありますが、結論は郵便局という事になりました。
郵便局から住所あて送金をしますと、送金額円換算で10万円以下は1000円です。50万円以下で2000円です。住所あて送金というのは、為替証書を受取人に送り、それを現地郵便局などで現金化するというものです。送金には1週間以上掛かります。
(詳しくは、ホームページ内の[ルーマニア情報]-[情報(1)]-[海外送金]を参照してください。郵便貯金ホームページへリンクしておきました。)

銀行では、シティーバンクが、前は送金手数料が一定の基準を満たしていると無料でした。今は、安くても2000円が掛かります。但し、送金手数料が無料であっても、途中、経由銀行で$10ひかれるのが普通です。これは現地に銀行口座がないと送金できないという、ちょっと手間の掛かる方法でもあります。送金は即日完了します。(その日の内に入金されます。)

という事からも郵便局からが時間は掛かるが一番安い方法という事になりました。これ以外には、手紙に現金を入れてそのまま送るという事を思いつきますが、これは違法です。これは、ご存知ですよね。(失礼しました。)1000円をケチると、それ以上の信用とお金を無くすと思います。
2002年 2月13日


バレンタインズデイ

今日は妻からチョコレートとお酒をプレゼントされました。ルーマニアにもプレゼントを贈る習慣があるみたいです。素直に喜んでしまいました。
今日は至る所でパーティやコンサートが行われています。テレビでも特集を組んで放送しています。
ちなみに、これの御返しは3月8日だそうです。日付を間違えないようにしなくてはいけませんね。
2002年 2月14日

もう春です

今日は近くの森に行ってきました。ウルジチ(Urzici)という草を捜すためです。私は、はじめて見ました。これは何処にでも生えていそうな葉っぱです。でも他の草とはちょっと違うので直ぐにわかります。この草がくせもので、摘み取ると手がかゆく(痛く)なるのです。手をひりひりさせながら摘み取ってきました。ゆでていただくそうです。その日の夕食のスープの中に入っていました。味は、あまりしない気がします。青臭くもないし、やわらかくなっているのですごく食べやすいです。(後日、別の調理方法で調理したやつは、青臭いにおいが強烈で食べられませんでした。)
2002年 2月20日

メールのこと

ホームページを開設してからいろいろな方からメールを頂きました。質問のメールだったり、二人の境遇などを話していただいたものや、ホームページの内容をこうして欲しい等というものや、一度会いましょうというものなどです。
わたしはとても勉強になりすごく感謝しています。本当にありがとうございます。
全ての方に返事をしてきましたが、ここへきて許容範囲を超えるメールの量になってしまいました。返事をしても、またそれ以上に新しいメールがくるという事になっています。嬉しい反面、もうお手上げです。今後も全ての方に返事を書こうという方針は変わっていませんが、暫らく時間をください。3月は年度末で、本業の仕事も相当ありますので、いつもの倍以上の時間が掛かると思っていてください。本当に申し訳ないです。

また妻あてのメールですが、これは相当返事が遅れています。数日以内に書くという約束を今日、妻としましたが確約できません。本当にごめんなさい。
2002年 2月21日


家の改装

ここ10日間くらいをかけて家の中を少し改装しました。メインの部屋にサイドボードを購入したり、台所の食器棚をひとまわり大きいものにしました。それにあわせて家具をいろいろと配置換えしました。
また浴室もいろいろと改装しました。一番変わったのがここです。浴槽を取り替え、ひとまわり大きいものを設置しました。わたしが横になっても十分足が伸ばせるようになりました。また床は総タイル張りにしました。いままでちょっと暗いイメージがあった浴室が、一気に明るい雰囲気になりました。
2002年 2月22日

久しぶりの雪です。

朝から雪です。昨日までの暖かい日が嘘のように、今日は冷え込んできています。やはりまだ2月ですね。
2002年 2月22日

冬の寒さ

もう暖かい日が続いているので今年の冬のことを振り返ってみたいと思います。(もうすごく寒い日にはならないことを願ってです。)12月、1月は、はっきりいってとてもつらい月でした。「寒さがハンパでなくきつかった。」というのが正直な気持ちです。マイナス20度の日が何日も続くというのは結構つらかったです。時にマイナス30度近くになる日もありました。これは恐怖にさえ思いました。さらに雪が積もり車での行動も制限されるという、孤立した状態になりました。
こういう事を踏まえて、来年は寒い冬の間は、日本に帰ろうかと思います。無理に寒い所に居る必要もないですし、でもこんな寒くて雪がいっぱい降る年は珍しいという事なので、来年はまだ耐えられるくらいの寒さなのかな~とも思っています。

今日現在は昼間18度を記録したそうです。もう春の陽気です。(朝からウォッカを頂かなくてもよくなりました。)
2002年 3月 2日


庭の畑に種まき

数日前から畑を掘り起こして、ならしています。たまねぎは植えました。あと数日後には、いろいろな種を蒔きます。今年はいろいろなものを作ろうと思っています。
2002年 3月 4日

人との付き合い

こちらに来てからいろいろな人と会ってきた。友達もいろいろ出来たが、何より親戚、親類が多くなった気がする。これは気がするのではなくて、間違いなく増えている。妻の親、兄弟、姉妹は結婚した時から知っていたが、その旦那さんや奥さんの兄弟、姉妹、親、子供までも最近知るようになった。

その場合でも、ただ紹介されて食事などを一緒にするだけならば何も問題ないのだが、(私はそれだけを望んでいるのだが)それ以上の付き合いが必要になってくる。それ以上の付き合いというのは、もちろんお金の付き合いである。$10くらいの少ないものから$200、$500などのこちらでは結構な額のものまで、貸して欲しいとくるのである。

初めて会った時には何も言わないのだが、後日、家にやって来るのである。このタイミングはいつも同じで、数日あけてから来るのである。人間不信におちいってしまうが、こちらではそれ以上に今日の生活を考えなくてはいけないので、来る方も必死である。なんとしてもお金を借りようと、いろいろな理由を考えて来るのである。

そんな時どうすればいいのでしょうか?

「貸さないのが一番」
「付き合いをしなければいいのでは」

などと言われそうですが、私は基本的に貸すことにしています。 これは、やはり私には断ることが出来ないからです。本当に困っている人に断るのは、やはりどうしても出来ません。そんな訳でお金を借りに来る人には貸しています。

但し、借りに来た人にはいろいろと注文をつけます。まず、どんなことがあってもその日には絶対に貸しません。いろいろと話を聞いて、その日は帰ってもらいます。それとその時に借りたらいつ返すのかを聞きます。後日、再度借りたいと来た時には直ぐに貸すことにしています。

この間にもいろいろとしまして、親戚、親類に何処の誰が借りに来ているというのを話します。こちらの情報は広がるのが早いもので、1週間もするとみんなが知っているようになります。それでも借りに来るというのは、相当困っていることだと思います。という事で、2回目に来た時は何も言わずに貸しています。

そこまでしなくてもいいとは思いますが、まだ私自身がよくこちらのシステムを分かっていないのでこうするより仕方がないのです。信じている、信じていない、の考えではなく、嫌な思いをしたくないというのが正直な気持ちです。

幸いみんなきちんと期日には返してもらっています。お金を貸す時は返ってくるのを期待するなという教えがありますが、それは日本にいる時の話でありこちらではそんな考えは、ない気がします。借りたらいつかは返そう、というのが正直な気持ちだと思います。それはわかっています。みんな思っていると思います。(しかし今は返したくてもお金がないから返せない。というのが現実です。)だから相当神経を使わなくてはいけないことだと思います。

今までは不良債権になることもなくきていますが、この先はどうなるかは分かりません。どういう付き合い方がよいのか悩んでいるこの頃です。
2002年 3月 5日


初めて警官と遭遇

車を運転中、初めて検問にあいました。路上に一人の制服の警官がいて私の車に対して路肩に寄れと指示しています。素直に従い、右の路肩に車を駐車して、車から降ります。その時に、国際免許証、日本の運転免許証、車検証を提示します。
「こんにちは」から始まって、「おまえは中国人か」「何してる」などの質問を受けます。「日本人だ」「旅行者です」などよく分からないふりをしながら答えます。
この警官よく見ると、タバコを吸いながらいろいろと聞いてきます。どうも胡散臭いやつだな、でも本物だろうな、一人しかいないのか、何が目的か?チップか。などを頭の中で考えながらいたら、直ぐに、もう行っていいという事になりました。なんだかよく分からないまま、その場を後にしました。
2002年 3月 6日


女性の日

今日は女性の日です。親しい女性に花やプレゼントを贈る日です。街では花屋さんの前にはすごい数の人々がいました。道行く人はみんな花束を抱えていました。
2002年 3月 8日

まちがえたマグカップ

妻と一緒にコップとマグカップを買いに行ってきました。コップはすぐに良いのが見つかったのですが、マグカップがなかなか見つかりません。いろいろ探してやっと見つけました。キズがない6個を私が選んで買いました。家に着き開けてみると、妻が微妙に絵柄が違うのに気づきました。色合いなど同じなのですが、絵柄が違います。ちょうど3個3個になっています。「どうするの」ということになりましたが、「使うしかないでしょう」という事になりました。食器棚に3個3個 別々にして飾ってありました。
あと3個ずつ買うか迷っているところです。
2002年 3月11日

パソコンのバックアップの重要性

数日前からいつも使っているパソコンの調子がおかしくなった。いつもは小刻みに聞こえるハードディスクの音も「カッツー、・・・、カッ、・・・」と次第に弱くなってきた。処理する速度が極端に遅くなってしまった。ぜんぜんいい仕事をしてくれない。
とうとう今日、動かなくなってしまった。ハードディスクが壊れてしまった。これではもうどうすることも出来ない。修理に出してハードディスクを交換してもらうしか直しようがない。
幸いバックアップのパソコンがあるので今はこうして書いていられる。
私はパソコンを4台持っている。(4台の内、1台は相当古い型なので、処理速度からいえば3台が使用するに耐えられる。)1台が通常使うパソコンであとはバックアップ用になっている。そんなにいらないのではと思われるかもしれないが、心配性の私にはこれでも少ないと思う。万が一の万が一を考えると最低3台は必要になる。さらに緊急用に持ち運びが出来る記憶装置も必要となってくる。というわけで、パソコンは全てLANで接続され、さらにCD-RWとMOも接続されている。

今回の件で、もしもバックアップをしていなかったらと考えると、気が狂いそうになる。泣いてもデータは戻ってこないのである。念には念を入れて日々バックアップをとってきたことが、こうした事故にも何の支障もなくいられる。今は、ほっと一安心というところだ。これから再度、システムを構築していかなくてはいけない。
2002年 3月12日


電話の受け答え

こちらで電話をかけるとこういう受け答えではないでしょうか。
「もしもし」
「あんた誰?」
「私はシーネルです。○○○さんお願いします。」
「ちょっとまって」
この後は本人と普通の会話が出来ます。私は、初めての人にはもっと丁寧に受け答えできないのかとも思います。「あんた誰?」は電話した方が悪いのかと思ってしまいます。電話しないほうが良かったのかなと思うこともありました。
最近では、こちらの受け答えに慣れました。電話が掛かってきたら、「あんた誰?」と言った方が結構すっきりしますよ。さっぱりしていると言うか、素直と言うか、みんなこう言っているので、こういうものだと思って話すとみんな何の疑問も持たずに名前を名乗ります。
最近は、あまり気にせず電話できるようになりました。
2002年 3月14日


お風呂について

こちらでのお風呂の入り方は、まず浴槽にお湯を入れます。洋服を脱いで入ります。その浴槽のお湯を使ってシャンプーします。続けて、からだを洗います。この一連のことを全て浴槽の中にいて、浴槽のお湯を使ってします。最後に栓を抜き、お湯を流しながら、新しいお湯でからだを流します。
私は、はじめはこの浴槽の中で全てをするのがどうもシックリいきませんでした。なんだか、洗っているところから、また汚している気がしていました。でも慣れとはすごいもので、今ではこちらの入り方のほうがきれいさっぱりと洗っている気がします。それにお湯の使い方がすごく贅沢だと思います。

一人一回ずつ浴槽のお湯を使って、のんびりと横になれて、最後にはきれいに流して上がるという、こんな贅沢は無いと思います。
2002年 3月15日


朝からスタリンスカヤ

今日は、久しぶりに朝からウオッカを頂いてしまいました。一日中、庭に出たり家の中をふらふらとしていました。たまにはこういう日もいいでしょう。外は本当にいい陽気です。
2002年 3月17日

ハルバ(HALVA)って知っていますか。

ハルバと言う食べ物があります。見た目は固形のかさかさしたなんともいいようのない形をしています。ここではみんなパンと一緒に食べます。パンを食べてハルバを食べます。ママリガと一緒にも、このハルバを食べるそうです。
味は簡単に言うと、ピーナッツバターです。なんともいえない、こくがあります。そしてまた食べたくなる、一度食べると癖になる味です。

私は、今日初めて食べました。
最近は、何に対してもそれほど驚かなくなっていたのですが、このハルバは、久しぶりに体中から喜びみたいのが湧き上がってきました。何でしょうか、懐かしいようなそれでいて新鮮な味に思いました。
2002年 3月18日


今日は雪、それも吹雪です。

暖かかった日々から一気に冬に逆戻りです。庭には雪が積もっています。昨日の夜から降っていますので、このまま明日まで降り続くと相当積もりそうです。
そう思っていたのですが、雨に変わってしまいました。積もっていた雪もすっかり融けてなくなってしまいました。
2002年 3月24日、25日


電力会社事情

電気料金を支払いに電力会社へ行ってきました。
そこであるおじさんと電力会社の人の会話が耳に入ってきました。大声で叫んでいます。なんだなんだとみんなが見ています。
そのおじさんの家は電気料金を滞納していたらしく、電気を止められてしまったみたいです。そのため急いで料金を支払いに来たみたいです。
(お)「料金払ったから、すぐに電気を入れてくれ」
(電)「月曜日に工事の者と打ち合わせするために、再度ここに来てください。」
(お)「そんな事言ったって今日は金曜日だろ~が、どうすんだよ、とにかく今日入れてくれ」
(電)「今日は忙しいので月曜日にしてください」
(お)「・・・・」
こんな調子でやりあっていました。どちらが悪いのかといえば、このおじさんが料金を滞納していたのが悪いのですが・・・、この後どうなったのかは分かりません。帰る時もまだいろいろとやりあっていました。

またあるおばさんは、家の名義を替えたので電気も替えてほしいと来ていた。電力会社の人が「4ドルちょっと(140,000lei)掛かります。」と言ったら「そんなお金はない」という話になった。お金を探しに行って来る。という事でそのおばさんは帰っていきました。

電力会社へ来て、見ないほうがいい社会の一部がちょっぴり見えてしまいました。
2002年 3月29日


タバコのすすめ

こちらのタバコは本当に安い。1番高いほうの部類に入る「KENT」で$1しない。$0.6くらいだ。私が吸っていた「L&M」は$0.3位だ。こちらのよく分からない種類のタバコはこれのさらに半額くらいで買える。

したがってここでは子供から大人までいたるところでタバコを吸っている光景を目にする。道路や建物の中やオトペニ空港の中までも(近いうちに禁煙になるそうです)吸っている。10歳くらいの子供がタバコを吸いながら「今何時?」と聞いてくる。仕事中の警察官もタバコを吸っている。くわえタバコで何かをするのは、かっこいいみたいである。ここでは周りの目を気にすることなく、「タバコ吸っていいですか?」なんて聞かずに、堂々と吸っていいのある。

ヘビースモーカーであれば一日60本くらい吸うだろうか。ここでは一日$1ですむ。どうですか、タバコが好きな方、思いっきり吸えますよ。例えば、日本で250円のタバコを一日3箱吸う方は、一ヶ月22500円(750円×30日)掛かります。三ヶ月だと67500円になります。安い航空券であればルーマニアまでのチケットが買えてしまいます。 ルーマニアに来てタバコを吸いませんか? 同じお金が煙に変わるならルーマニアに来る分、お得だと思います。

私は、前はタバコを吸っていました。20歳から吸い始めたとして、10年間吸い続けていました。止める数年前からは一日80本近く吸う日もありました。(吸っていたのはマイルドセブンライトです。)朝起きてから寝るまで食事以外は全てタバコの煙と一緒に暮らしていました。仕事の打ち合わせやいろいろな会議や移動するときの車の中などタバコを吸う環境が整っていました。いろいろ考えるときにちょっとタバコに手がいきます。

そんな私がどうしてタバコを止めたかといいますと
「いろいろな無駄に気づいてしまったから」
です。まず、吸っていて楽しくなるか、といえば決してタバコでは楽しくならない。
リラックスするか、といえばリラックスした気にはなる。これはタバコで血液の中の酸素量を減らすので、脳にいく酸素が減れば思考能力がなくなり、考えられなくなり、リラックスしていると勘違いはする。
お金が煙に変わる。毎日少しずつしか使っていないつもりでも、1ヶ月、1年と考えると相当な額を煙にしてしまっている。
など、いろいろあったからです。

今は、タバコを吸わなくなってから2年になります。タバコを吸わなくなって楽しいか、といえばすごく楽しいです。体が楽になり、食事もおいしいです。
リラックスしているか、といえば十分リラックスしています。これはタバコだけではなく、ルーマニアにいて自分のペースで仕事も出来て、家族がいつも一緒にいてなどいろいろな事とあわせてです。
ここルーマニアに来るチケット代は、無料だった。これはタバコを吸わなくなって、浮いたお金で来ることが出来ました。

私は、タバコを吸っている人の気持ちはよく分かります。本当によく分かります。今回の「タバコのすすめ」は、そういうタバコを吸っている方の為に一つのアイディアとして書いてみました。
2002年 3月30日

夏時間へ

今日の午前0時が午前1時になりました。日本との時差は6時間です。
2002年 3月31日

カソリックのイースター

知り合いのカソリックの家へ行きました。そこの村はカソリックが多く住む村みたいです。今日から3日間はイースターだそうです。といっても私には何がなんだかよくわかりません。街にはきれいに着飾った人たちがいっぱいいます。
そのお宅におじゃまして、しばらく話した後、おめでとうで乾杯(私は運転するのでジュースで乾杯)して、パスカ(pasca)とコゾナック(cozonac)を頂きました。(甘いパンとケーキ)  その後、食事をします。その時に赤い卵がでてきます。今はいろいろな色の卵があるそうですが、基本は赤色だそうです。ここの地方は卵に模様を書くことはなく、赤一色にするそうです。これは昔キリストが流した血が何とかかんとか・・・と話していました。

食事も終ったころ、そこの家の方が眠そうなのでどうしてか聞いたところ、前の晩の夜10時から夜中の1時まで教会に行っていたそうです。そこでお祈りをして先生の話を聞いてきたみたいです。

すいません、今回はなんだかまとまりのない話になってしまいました。
2002年 3月31日


サロメ(Salome)

私の家で必ず見ている番組です。月曜日から金曜日の夜10時からやっているドラマです。普段はほとんどドラマを見ることのない私ですが、これだけは、はまってしまいました。「サロメ!」と言うだけで、映画を見ている途中でも、チャンネルが「acasa」に切り替わります。
2002年 4月 2日

旅行は高い、住むには安い

旅行する方がルーマニアで高いと思うものは、ホテル代ではないでしょうか?どうして一泊15ドル~300ドルもするのかと思います。いろいろな物価から言えば、この数分の一でもおかしくないはずだと思います。やはり宿泊するのは外国人なのでそういう料金になってしまうのでしょう。
長期で宿泊される方は、はじめの数日はホテルで後はアパートを借りてしまってはどうですか?ワンルームで1ヶ月30ドル位からあります。3DKで1ヶ月100ドル位からです。
新聞やテレビにいろいろと個人で広告を載せていますので、直接交渉してみてはどうですか。2週間位でも、快く貸してくれると思います。
実は、私たちが持っていたアパートを、使っていないので貸そうと思ったのですが、賃貸料のあまりの安さにめんどくさくなって売ってしまいました。

それと交通費ですが、これは安いと思ったり、高いと思ったりすると思います。安いのはそれなりに危険が伴いますし、高いのは安心料がその中に入っていると考えれば逆に安いとも思います。安全はお金で買うことが出来ますので、あまり無理せず安さだけでは決めないほうがいいと思います。一瞬で全てが無くなる事もあります、後悔よりも楽しい思い出をつくることを考えればそれなりの出費は必要と思います。

食事ですが、これは何処へ行っても安くてうまいと思います。お酒を飲んで、スープから始まって、食べきれない程の料理を食べても一人10ドルもしないと思います。私が、いつも食べきれないくらい飲んで食べても6ドルくらいです。(普通は3ドルくらいです。)チョルバデブルタが1ドルくらいです。これとパンでおなかがいっぱいになってしまいます。毎日、いろいろな料理を食べてみるといいと思います。デザートも、どれも程よい甘さでおいしいと思います。

移動と宿泊は高く感じますが、食事はどこでも安く感じるのではないでしょうか。ルーマニアを訪問する前に、一度「ルーマニアご来訪者の皆様へ~防犯の手引き~」をご覧になってください。 [情報を知る]より見ることが出来ます。
2002年 4月 5日


部屋の模様替え

朝起きると妻が相談があるという。何事かと思ったら家の中の配置換えをしたいという。よく聞くととてもいいアイディアなのですぐにOKしてしまった。
2002年 4月 8日

部屋の模様替え・・・その後・・・

部屋の配置換えをしてから今日で3日目になるが、やっときちんとした形になってきた。やはり子供がいると思うように動くことが出来ない。寝ている間に急いで片付ける感じだ。私の仕事場は確保したので後はゆっくり片付ければいい。妻は台所に時間をかけるみたいだ。
配置換えをして、全てを掃除すると、気持ちが新しくなった気がする。
2002年 4月10日


インターネットの接続

おとといからプロバイダへ接続が出来なくなってしまった。私の家には専用線をひいてあるので、ダイヤルすることもなくそのままつながるようになっている。それがおとといから何ともいわなくなってしまった。ずっと何ともないと線が切れていると考えるのだが、たまに接続できるのである。これはきっとプロバイダ側が悪いと思い、おとといは朝、昼、夜と電話して、どうなっているのか説明してほしいと話した。夜の電話では、プロバイダ側は何ともないということだった。全てのチェックをして何も異常はなかったそうだ。
昨日の朝にプロバイダから電話がきて、ロムテレコム(電話会社)が私の家に来て回線をチェックするという話になった。昼頃家に来て、電柱からプロバイダ側と家のモジュラージャック側をチェックしたが何も異常はない、という事だった。しかしロムテレコムが帰っていくとプロバイダへ接続できるようになっていた。
「これはどういうことだ」
「ロムテレコムが悪かったんだ」
ちゃんとしてくれないと困るよ!と思ったが・・・。そういえばロムテレコムが家のモジュラージャックを開けて見たときにドライバーで閉めなおしていたなと思った。そして私の家では配置換えをした。そのときに線を引っ張っていたら・・・。
結論は、私が今回は悪かったと思う。配置換えのときにきっと線を引っ張ったのだ。これは悪いことをしてしまった。自分の家が悪いのに、大騒ぎをしてしまった。

その後プロバイダへ、つながったのでありがとうという電話をした。もちろん私の家の事は何も話さなかった。ロムテレコムからプロバイダへ電話が掛かってきたみたいだが、プロバイダ側が悪かったという事になったそうだ。プロバイダの彼には申し訳ないことをしたと思っている。しかし、今回はこれで収めてしまう方がいいと思っている。なぜなら、次回問題が起こったときの立場が逆転するのは避けたいので・・・。
(今回は、約丸一日接続できなかったのでこうして書きましたが、1時間程度つながらない事はしょっちゅうあります。いつもプロバイダの彼の方が問題があります。今回のみ、私の方が問題でした。「ごめんなさい」 ここで謝っておきます。)
2002年 4月11日


最近はマキ

前に鳥豚小屋を解体した廃材が余っているので、最近はマキで暖をとっています。思ったより火力があり、ガスよりもマキの方がいい感じです。ガス代の節約にもなるし、一石二鳥です。
2002年 4月12日

ちょっとまじめに

今日、車の中で妻といつもの様に会話していたら、話が思わぬ方向にいってしまった。それはどちらかが死んだらどうするか、ということである。半分冗談で半分まじめに話し合った。
まず、ルーマニアで私が亡くなったらどうするか。
これは、私が妻に「ここに埋めてくれとお願いした。」
逆に妻が亡くなったら、私は子供をつれて日本に行くということになった。

今度は日本にいた場合はどうするか。
これは妻から「日本に埋めてかまわない」という返事だった。私が日本では火葬されるけど、それでもいいかと聞いたところ、かまわないということになった。
逆に私が亡くなったら、妻は子供をつれてルーマニアに帰るということになった。

結構まじめに考えたつもりであったが、こういう答えしか出てこなかった。
こういう話は皆さんの家でもしましたか? よろしければどういう風にしたのか教えてください。
(外国人に火葬許可がでるのか、でないのかなどその辺のところはよくわかりません。)
2002年 4月13日


家のセキュリティ強化

家の中が片付いてきたので今度は外からの侵入に対しての対策をとっています。対策として、窓とドアの部分に鉄の格子を入れています。簡単にいうと動物園の檻みたいなのを全てに入れています。ガラスを割られても中に入れないつくりにしています。
さらにドアのカギも二つを確実に付けています。3つの出入り口全てにしました。
これで最悪の場合でも、家の中にいれば、ほぼ安全になりました。次回は、塀をもう少し高くしようと考えています。
2002年 4月18日


大事件

先週の木曜日の夜から子供の調子が悪くなった。食べてもすべて戻してしまう。本人は食べたいみたいなのだが、体が受け付けてくれないみたいだ。戻してびっくりして、しばらく泣いているの繰り返しだ。
金曜日に病院に行き、診察してもらった。先生が言うには軽い風邪みたいだ。薬を処方してもらい、自宅に戻った。子供は「うんうん」いいながら泣いている。薬を飲まそうとするが飲んでくれない。ジュースに混ぜて飲ますと、きれいに飲んだ。しかし、すぐに吐き出してしまった。ご飯も食べない。ミルクは飲んでも吐き出してしまう。全てを受け付けなくなってしまった。金曜日から月曜日まで3日間ぜんぜん食べられなかった。毎日、朝から夜中から「うんうん」いいながら泣いている。本当に困ってしまった。子供を抱っこするとだんだん力がなくなっていくのがわかった。替わってやりたいがどうすることも出来ない。
なんともいえない3日間を過ごし、月曜日に、再度病院に行き、ぜんぜん食べてないことを話した。先生が、注射をするという。8時間おきに看護婦さんが家に来てするという。昼の2時、夜10時、朝6時を2日間合計6回注射した。私が車で看護婦さんの家まで迎えに行った。(朝から夜から大変申し訳ないと思った。)

注射をするたびに子供が元気になっていくのがわかる。はじめは食べられなかったのが、少しずつ食べられるようになっていく。最後の注射をした水曜日の朝は、すっかり気分もよくなったみたいだ。私たちにも笑顔が戻り、再度病院に行って診てもらう。まだ完全ではないが回復していると言うことだった。あとはビタミン剤を飲んでいればいいという事だった。

久しぶりに昨日はゆっくり寝たので、今日はこの1週間を振り返りながら書いている。軽い風邪がこんなに長引いてしまった。子供が泣きつづけるのは、気持ちがわかるだけに本当につらかった。本人は、もっとつらかったと思う。妻もつらかったと思う。妻は私より寝ていないと思う。寝られなかったのだろう。昨日は3人共、普段のようにぐっすりと眠ることが出来た。子供の調子はあともう少しというところだが、私の気分は久しぶりにすっきりとしている。家族が元気なのが一番!本当にこれだけで十分です。
「子育てって大変というのを初めて実感したね」、と妻と二人で笑顔で話しました。今までは、子供の強さに私たちが助けられていたということでしょうか・・・。

(ルーマニアでは診察代は一切かかりません。看護婦さんに来てもらっても気持ち程度をあげる位です。薬代は掛かりますが、ものすごく安いので気にする必要はないと思います。また先生に言われた検査をするのにも、検査代は一切掛かりません。紹介状をもって病院や検査機関に行きます。したがって何かあれば病院に行って診てもらう方がいいです。日ごろから定期的に診察してもらうといいと思います。※)
※こちらの方たちは、それでも薬が買えないために、治る病気も治せない人がたくさんいるそうです。病院には来て診てもらえるが薬が買えないためにどうしようもないということです。病院の先生が言っていました。
2002年 4月25日


ニワトリはいつ鳴く

もちろん朝は鳴きます。
昼も鳴きます。
夕方も鳴きます。
結局一日中鳴いています。どこかで鳴き始めると、つられて鳴き始めます。
「コッケコッコー」、ルーマニア流は「コッコリゴー」と鳴きます。
2002年 4月26日

羊の肉

子羊をもらいに、知り合いの家に行ってきました。イースターには、羊でご馳走をつくるみたいです。その場で、子羊の解体まで見て来てしまいました。ふわふわの毛の下は、思ったよりも小さい体でした。量ると9.5kgでした。これをどのように料理するのかすごく興味があります。
2002年 4月27日

不思議な感覚

庭をよく見ると小さな花がいっぱい咲いていました。それは、ずっとそこに咲いていたのだと思います。忙しくて見ることが無かったのか、興味が無かったから見ていなかったのか・・・。突然、黄色や紫や白色の花が目に飛び込んできました。緑の中に小さな花が咲いています。一つ一つがとても凝ったつくりになっています。じっと観察してしまいました。
最近は、今まで見えなかったもの(見ていなかったもの)が見えてくるようになってきました。
2002年 4月28日

バザール見学

ここロマンにもバザールがあります。火曜日、金曜日、日曜日の午前中に開催されます。初めて、行って来ました。広大な敷地に、洋服や、絨毯や、カーテン、靴などが売っています。(電気製品、車用品、家具、など数は少ないですが何でもあります。)絨毯とカーテンを購入してきました。どちらもメーター売りです。1mいくらで売ってくれます。絨毯などは半端が出ても売れなくなるので、3m欲しいところを4m買ってきました。1m分は超特価でほとんど、ただにしてもらいました。規模はそんなに大きくないですが、結構人はいました。人気のある店、ない店の区別がよく出来ていました。
2002年 4月30日

今日は何の祭日?

メイン通りの全ての電柱に国旗が掲げられていました。道路が明るくなったように感じました。気温もぐんぐん上がり、半そででも汗がでるくらいでした。
2002年 5月 1日

モルドバ地方はシーシー弁

もちろんこれは私が勝手につけたものです。こちらで話していると、シーシー言って話しているように聞こえるのでそう付けました。
例えば、チェファーチ(Ce faci?)はシェファーシ
デチェ(De ce?)はデシェ
など[C]の発音が[チ]ではなく[シ]になります。それに通常の[S]がありますので、シーシー言っているように私には聞こえてしまいます。
2002年 5月 2日

オルトドックスのイースター

昨日から妻がいろいろと料理を作っていました。今日は親戚が家に来て、「フリストスアンビアット(HRISTOS A INVIAT!)」「アデバラットアンビアット」で乾杯しました。やはり赤い卵が出てきて、料理を頂きます。子羊の肉の料理です。多分、硬くてにおいがあるのだろうな、と思いながらスープから頂きました。これはいけます。匂いも無く肉もやわらかく、味付けが私好みになっています。次にメインの焼いた肉です。これもやわらかく香ばしくおいしいです。思っていたよりも、すごくおいしいです。一人で納得しながら、結構な量を食べてしまいました。
結局、飲んで食べて、夜中まで大騒ぎをしてしまいました。
2002年 5月 5日


店は休み

イースターということで市場からマガジンから全て閉まっています。今日までは、みんな休みなんだと実感しました。カソリック系の店だけが開いているのでしょう。こんなに人がいない街も珍しいです。
2002年 5月 7日

時間の感覚

私の家には時計がいくつかあります。全て正確には表示されてないと思います。進んでいるのと遅れているのとでは30分くらいの差があると思います。直してはいるのですが、これも大体であわせますので少しずつ狂ってきます。
今までこれで問題になったことはないです。また、どこの家に行っても、時計はいいかげんな時間になっています。だいたい、テレビの番組からしていいかげんな時間に始まるので、きっちりしなくてもいいみたいです。
こんな感じなのに時間を聞くとみんな、10時3分前とか、3時24分とか正確な返事が返ってきます。その時計が正確でないのだから、10時や、3時半とかでもいいと思うのですが・・・。
2002年 5月 8日

人だかり

私の住んでいる所(ロマン)の警察署に人がいっぱいいます。今まで見たこともないような光景です。全員パスポートの申請に来た人たちです。今年の3月からピアトラニャムツに行かなくても申請が出来るようになったみたいです。以前、妻のIDカードの申請に行きましたが、ほとんど人はいませんでした。今はオンボロの建物に人がいっぱいいて、建物自体が道路側に傾きそうです。
2002年 5月 9日

猫の子は子猫

家で飼っている猫が子を産みました。全部で4匹です。まだ目も開けられない状態です。母猫のきげんがよくなるまで、今はそっとしておきましょう。
2002年 5月13日

雨です。

久しぶりにまとまった雨が降りました。一ヶ月ぶりくらいだと思います。庭の植物も生き生きとしています。
2002年 5月15日

パソコンの値段

こちらでパソコンがどのくらいするのか気になったので、何件かの店に聞いてみました。ノート型は、ほとんどないです。そして高いです。
[PⅢ1133、TFT14.1、128Mb、HDD20G、Modem]の仕様で、$1800です。
しかしデスクトップ型は、いっぱいあります。こちらは自作するのが普通みたいです。カタログではなくパーツ表をもらいました。プロセッサー、クーラー、メモリ、HDD、FDD、CD-R、ケース、等を自分の仕様で選んで発注する様になっています。先ほどのノート型と同じくらいの仕様にすると、
[AMD ATHLON1100、128Mb、HDD20G、Modem、+モニター17”]この仕様で、$550です。
ちなみに、インターネットをするだけならば、こんなにいい仕様にすることもないので、少し落としてみると、
[Celeron500、64Mb、HDD5.1G、Modem56k、+モニター17”]この仕様で$430です。
OSは別途です。安い?、高い?、どうなんでしょう。私は、今のパソコンが壊れた時の為に、一台買おうと検討しています。
2002年 5月16日


物々交換の仲間入り

家の畑で野菜が取れるようになったので、親類との物での交換の仲間に入れそうです。私の家で作っているのは、たまねぎ、サラダ菜、チョルバに入れる野菜5種類(名前がわかりません)、大根、枝豆、トマト、などです。夏には、白菜の種も蒔いてみようと思います。これで、ジャガイモ、麦、とうもろこし等と交換します。
去年は、みんなの家からもらっていました。もちろん、ただでは申し訳ないので、油、洗剤、コーヒー、お酒などを買って、持っていっていました。こちらの方が、逆に喜ばれたりもします。その時に応じて持っていこうと思っています。

あと、りんご、洋ナシ、ぶどう、などもあるのですが、これは私の家で全て消費してしまいそうです。去年は近所の子供たちが、時々、洋ナシをもらいに来てました。
2002年 5月20日


シーシー弁

前回、モルドバ地方の訛りをいくつか書きましたが、それ以外にもよく聞く言葉があります。
エ ギーネ
ニカ
オリャック
等です。また食べ物でも、チョルバはボッシュ、ポテトはバラブレと言う人もいます。
2002年 5月21日

子供の出生証明のコード番号

まだ、そんな事をやっているのか、と言われてしまいそうですが、これがいろいろな所で聞くとそれぞれ言っている事が違うので、結局どうするのか困ってしまいました。ブカレストに行く前に一度ここロマンの役所に聞いてみようと思いました。そこにいた彼女が言うには、やはりブカレストのセクター1の役所で手続きするみたいです。これでピアトラニャムツの警察署で言われたのと同じ答えが返ってきたので間違いはないでしょう。でもまたブカレストに行くのは大変なので、妻が妊娠していて行くのが大変だと話すと、その彼女が電話で問い合わせてくれる事になりました。
結果は、というと、無事コード番号をもらう事が出来ました。あっけなくもらう事が出来てしまいました。基本は、セクター1の役所でもらうみたいですが、ただ、番号を聞くだけなので、電話でも済んでしまいそうです。
2002年 5月24日

結婚指輪は、左手の薬指

結婚しているのに、左手の薬指に結婚指輪をしないで、右手の薬指にしている人がいます。結構、多いです。なぜか聞いてみたところ、カソリックは、右手にするのだと話していました。本当かどうかまだよく分かりません。
2002年 5月27日

タイヤ交換

車のタイヤが大分磨り減ってきたので、タイヤ交換しようと思いましたが、何処に行けばいいのか私にはぜんぜんわかりません。知り合いの人に、一緒に行ってもらいました。まずはタイヤを探しに行きました。タイヤを探すとは、ホイールを除いたタイヤ部分だけを探します。 175/70/R14を探します。3件目で丁度合うのがありました。タイヤのパターンはこれしかないみたいです。無いものはしょうがないので、これを買いました。

私は、以前(10数年前のことですが)ガソリンスタンドでバイトしていた事があったので、多少はタイヤ交換にも詳しいです。タイヤを買って、まさか自分で交換するのではないだろうか、という考えが一瞬よぎりました。自分でやるったって、エアーは無いし、バランスを取るのもどうするの、と思っていましたが、やはり思い過ごしだったみたいです。ちゃんとタイヤ交換する店がありました。そこへ行って、自らジャッキアップする事もなく、すべてやってもらいました。

こんなに簡単ならもっと早くしておけばよかったかなと思いました。タイヤが一本30ドル弱で交換に3ドル掛かりました。(本当は2ドルでいいみたいですが、これからもよろしくね、という意味で3ドル払いました。)ちなみに私の車は、オペルです。中古のタイヤならもっと安く出来ますが、タイヤを中古で買うという発想が私には出来なかったので、新品を買いました。(当然ですよね)

ダチア車は、もっと安く出来ると思います。タイヤの数が相当数出回っています。しかしダチア車は見た瞬間に、乗りたくないな、と思わせる事があります。それはタイヤのボルトが3本止めなのです。設計段階で強度計算をするはずですが、3本で大丈夫になったのでしょうか。私は怖くて乗れません。

話がそれてしまいましたが、今回一番大きかった収穫は、タイヤ交換する店を紹介してもらった事です。そこは夫婦でやっている小さなお店なのですが、息がぴったりあっていて、旦那さんがタイヤをはずすと奥さんがエアーを抜き、ゴムの部分とホイールを分ける機械に掛け、さらにホイールを洗い、新しいタイヤをはめて、最後に旦那さんがバランスをとる、そして取り付ける、と流れ作業でやっていました。私は、直感的に「いい店だな」と思いました。見た感じきれいというわけではないし、小さな店なので知らない人は通り過ぎてしまう、ご夫婦もきれいな作業着を着ているわけでもなく、これといって特徴があるわけではないのですが、「いい店だ」と思う何かがあるのです。旦那さんもほとんど話さず、作業を続けているだけなのですが、この店は大丈夫という何かがあるのです。安心感みたいなものを感じました。また一つ良い店を知る事が出来ました。
2002年 5月29日


子供

この秋に家族が増えます。
それも二人も
そうなんです、今おなかの中には双子がいるのです。先日、エコー検査の時に判ったのですが、一人は男の子で、もう一人は女の子みたいなのです。(女の子は確定できないそうです。)「え~、う~ん、やったー、大丈夫、大変だー」と複雑な気持ちです。でも、正直すごくうれしいです。妻は、「ほんとに大丈夫?」と言っていますが、顔は喜んでいます。もう、1人でも2人でも3人でも、子供は問題ないでしょう。何処へ行くわけでもないし、この家にいる限り、泣いても騒いでも問題ないです。しかし、家族での日本への里帰りは、さすがにあきらめました。私たち2人で子供3人を連れて行くのはムリがあります。子供が大きくなる数年後になりそうです。
今は、無事に産まれてくれるのを願っています。
2002年 6月 1日

日の入り

日が長くなりました。外にいると、時間の感覚が判らなくなってしまいます。今は午後9時ですが、今、日が沈む位です。
2002年 6月 4日

日本対ロシア

ワールドカップの日本対ロシア戦を見ました。午後の14時30分から始まりました。どうも妻は興味が無いらしく、子供と外へ行ってしまいました。そんなわけで一人さびしく横になりながら観戦しました。出だしからもしかしたらいけるかもなんて夢見たいな事を考えてしまいました。後半に入ってゴールを決めたところから、一人大騒ぎをしてしまいました。横になっていられず、立ったり座ったりと日曜日なのに目いっぱい疲れてしまいました。今日の事は、歴史に残るすごい事なのですよね。仕事関係で付き合いのある方からの、メール(携帯から)の量でわかります。しかしここでは何事も無いように普段の日曜日が終わろうとしています。
2002年 6月 9日

チェリッシュ(さくらんぼ)

最近は毎日さくらんぼを食べています。安いのであきるほど食べられます。市場では1キロ約0.6ドルで売っています。生まれてこんなに食べた事ないなという位、食べています。素直にうれしいと思っています。
今日、私の家の庭を見ると、さくらんぼがなっているではないですか、今まで気が付きませんでした。高い所の方が実が赤くなっていておいしそうです。取って食べてみるとおいしいです。しかし、市場のとは形や味が違います。私の家のは丸い形をしていて、少し酸味があります。売るにはちょっと向いていないと思います。(売るつもりも有りませんが・・・。)今は発見した喜びの方がうれしいです。明日は、さくらんぼ狩りをしようと思っています。(私だけみたいですが・・・。)妻は私がこうまでしてさくらんぼにこだわる理由が判らないみたいです。私は、旬の物だからたくさん食べて季節を味わいたいなと思っているだけです。
2002年 6月12日


今日はバーベキュー

前回さくらんぼ狩りをすると書いたのですが、予定が変更になってしまいました。今日は昼からワインを飲まされて(自ら飲んだとも言います。)バーベキューをしています。鶏肉とミッチ(ミティティ)です。燃やす木は、前に鳥小屋などを解体した廃材があるので問題がないのですが、私の気持ちはさくらんぼにいっているのに目の前には肉があり変な感じです。でも外でこうして食べる料理もなかなかいけます。結局、なんでも順応してしまう私がいました。
2002年 6月14日

一人で歩く

子供の成長は早いものです。今日は、一人で歩き出しました。つかまり立ちはずっとしていたのですが、次の一歩がなかなか出来ないでいました。それが今日は一人で歩き出したのです。今までは私か妻が必ず支えていなければいけなかったのが、私たちから離れて一人で部屋を一周して帰って来る事が出来るのです。それは自然な光景なのでしょうが、私には不思議な光景に映りました。
2002年 6月15日

警官に止められました

初めに申しておきますが、私は悪くないのです。

今日は、市場に車で買い物に行く途中でした。家を出てすぐに交差点があります。信号機は無く、私が進んでいる道が優先道路でした。そのまま行こうとしたところ、歩行者が横断歩道を渡ろうとしています。

私は、止まり歩行者を渡らせます。その時に後ろにいた車が早くいけというような感じで、クラクションを鳴らすのです。知らない振りをしてそのまま行ったところ、今度はムリな追い抜きを掛けてきたのです。その車が追い抜いたところに丁度、パトカーと警察官がいて停車を命じていました。そこは坂の上で全ての事を見ていたみたいです。私は、関係ないだろうということで通り過ぎようとしたら、私の車も停車の合図をしてきました。

右に寄せて前の問題の車の運転手への尋問が終わるのを待っていました。その警官が今度は私のところに来ます。国際免許証、日本の運転免許証、車検証、外国人登録の身分証明証を見せます。よく話を聞くと、私は何も問題は無いそうです。問題の車の関係車両という事みたいです。この車はいいか悪いかと聞いてきました。(いいか悪いかとは、問題があったのか無かったのかということです。)私は悪いと言うと、一枚の証明書みたいな調書に何か書き込んで、サインしてくれと言われました。本当に私は悪くないのか、サインしても大丈夫かを、その警官に何度も確認して、納得した上でサインしました。その後、私たちはもう行ってもいいということで、その場を後にしました。

多分、あれから問題の運転手の尋問が始まるのでしょう。最近、警察官の動きが変わってきました。きびきびしているというか、きちんとしています。検問もいたるところでやっていますし、今日のような取締りもやっています。ちなみに今日はパラパラと雨が降っています。こんな日でもやるのですね。
2002年 6月17日

ADSLに

昨日、プロバイダの彼のところに行ったら、ADSLにしないかと言われた。なに、ADSLがあるの? とうとうロマンにも来たの? などびっくりしてしまった。もちろん断る理由も無いので、すぐに切り替えると話した。
早速今日、DSLモデムを購入し、彼からIPアドレスやその他必要なアドレスを聞いた。私の家と彼のところは専用線が引いてあるので、設定自体はすごく簡単、のはずだった。家でDSLモデムとパソコンをつなぎ、ネットワークの設定を変更した。これでつながるはず、なのだが、エラーが出てしまう。設定を確認してもどこも問題はない。私は、ADSLは初めてなのでどこかに問題があっても分からない。しかし設定するところは簡単で間違いはない、はず。しばらくすると、彼から電話があって、一人技術者が私の家に来るという。その技術者がやってくると、手にドライバーを持っている。すぐにDSLモデム本体を開けるではないか。ドライバーでねじをはずし、中の基盤を取り出している。そこに設定のチップがあり1番と5番をONにして、再度ねじで閉じた。
再度DSLモデムの電源を入れると今度はエラーが消えた。インターネットが出来るか確認すると、何の問題も無く出来る。あの設定は何だったのか説明をすることなく、技術者は帰っていった。
こんな感じで、最後はよく分からなかったのですが、数時間でADSLに変更してしまいました。使っている感想は、やはり早いです。今までが遅かった分、すごく早く感じます。

これで使える用途がさらに増えました。一番期待しているのは、テレビ電話です。もう実験段階から、普段も使える状態にしたいと考えています。
2002年 6月19日


水が出ない

昼頃から水がストップしました。今回はいつもの断水ではなく、結構深刻な問題みたいです。ロマンの町全ての水の供給がストップしたみたいです。町の中心部を全面通行止めにして、昼夜構わず掘り起こして工事しています。直るのは早くて明日になりそうです。
アパートに住んでいる人は、水を探しにバケツを持ってうろついています。こういう時には、一軒家で井戸のある家は本当によかったなと思います。ちょっと不便にはなりますが、水がないよりましで、いくらでも使うことが出来ます。

今日は、もちろん風呂は沸かせないので、懐かしい大きなバケツの中で体を洗いました。今は寒くないので、水さえあれば何日断水しようが大丈夫だと思っています。ロマン中の重機と人が町の中心に集結していますので(これは言い過ぎです。)、もしかしたら明日の朝には水が出るかもしれません。(※本当に水が復旧しました。午前5時には水が出ました。)
2002年 6月21日


門を門らしく

前回のセキュリティ強化の続きで、家の門を頑丈なものにしました。駐車場の入り口と、通用門と、それに続く塀と全てを、鉄とコンクリートに替えました。今までの門より30cm高くして、さらに中を見られないような作りにしました。これでまた安心できる環境に、さらに近くなりました。
2002年 6月22日

物乞いの仕組み

いつも行く商店街に、顔なじみの子供たちがいる。いつも汚い格好で、道行く人や、駐車場に車を止める人に、
「お金ちょうだい。」
と言っている。私は、毎回というわけではないが、あまったコインを渡している。初めの頃は、「お母さんはどうしたの?」と聞くと、「いない」と答えていたので、かわいそうだな、という気持ちで渡していた。
数ヶ月が経って、彼らに対して素朴な質問をした。
「一日、どのくらいの収入になるの?」
答えは、
「分からない」という。
「分からないわけないでしょ、ポケットのお金を数えれば分かるでしょ」
その答えは、
「もらったら、すぐにボスに渡すから分からない」
・・・・私は、その言葉にショックをうけた。こんな小さな子が一生懸命(?)お願いして、人からもらったお金を、その男は全て取り上げてしまうなんて。前からそのボスの存在には気づいていたが、まさか全部を取り上げているとは思わなかった。

「毎日何を食べてるの?」
「パン」

「パンと何?」
「それだけ。・・・。」

「学校は?」
「行ってない」

私は、それ以上聞く気にもなれずに、その場を後にした。

あの男が、子供たちを養っているのは分かる。しかし、ろくに食べ物も与えずに、自分は朝からお酒を飲んでいる。子供たちは学校にも行かず、物乞いをして、それをあの男がまとめてその日の食料を買って、子供たちに与えているのだろう。自分はお酒を買うのだろう。子供は、その日暮らしのために、物乞いをしないといけない。だから学校にはいけない。悪循環になっているのがよく分かる。

今日も、駐車場に車を止めると、みんな手を振って、最高の笑顔でこちらへ来る。名前は知らないが、誰が誰だか分かる。
この男の子は、一回ダメと言うとすぐに行ってしまう子。
この女の子は、両替所の入り口にいつもいて、中の様子をうかがっていて、両替した半端なコインをもらおうとしている。いや、この子が一番したたかで、両替したものをスろうとしている。
この男の子は、ダメと言っても、そのままじっとこちらを見ている。根比べをしているようだ。いつも私が負けて、コインを渡してしまう。この子が一番の知り合いだ。先ほどの質問もこの子にした。みんなかわいい子なのだが、その背後にある環境には、いろいろ考えてしまうものがあります。
(500leiコイン=約2円、3,000~4,000leiでパンが買えます。)

よく、物乞いに少々のお金を渡しても何も変わらない。全部は面倒見切れないだろう。問題の根本から解決しなければいけない。
等と言う方がいますが、私はもっともな意見だと思います。しかし、だから何? だからどうするの? と言いたくなってしまいます。目の前に、お腹をすかした子供がいて、知らん振りは出来ません。あまりにもかわいそうです。たまに、パンをあげますが、一人がもらうと、飛びつくように周りの子供たちがやってきて、ちぎって持っていきます。これからも、毎回というわけにはいきませんが、渡そうとは思っています。
こちらの人もやさしい人はたくさんいます。特に男の人は、さりげなくポケットからコインを出して渡しています。助け合いみたいなのが、町にあるのでしょうか。私には、まだよくわかりません。
2002年 6月24日




ルーマニアの音 エントリー

  1. 物乞いの仕組み
  2. 門を門らしく
  3. 水が出ない
  4. ADSLに
  5. 警官に止められました
  6. 一人で歩く
  7. 今日はバーベキュー
  8. チェリッシュ(さくらんぼ)
  9. 日本対ロシア
  10. 日の入り
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